■2013.11.■
ヘンリー・C・ブリンカー Henry C. Brinker 氏による 寺田作品評
筆者紹介 Henry C. Brinker
マルチメディア情報サービス Brinkermedia代表。
ニュルンベルク大学にて美術史及び舞台芸術学を修めた後、ドイツにおける私設ラジオ局の先駆者となる。
次いでRadio Gong事務局長、 Radio Arabellaの創設および編集長、Radio Luxemburg NSRの常任編集長を経て、
バイエルンテレビ局(Zeitspiegel, ミュンヘンレポート)における国内政治関連の原稿執筆、
クラシックラジオのプログラムディレクター長、ドイツ中央放送、ゼンパー歌劇場及びエルプフィルハーモニー
にてマーケティングマネージャー長を務める。
2009年よりFAZ, ZEIT veriag, WDR, UDK Berlin, DEAGを主な活動拠点としながら、政治、文化及びメディア
を対象とした情報プロジェクトに携わっている。
Kultur Medien Marketing BRINKERMEDIA - www.brinkermedia.de -


寺田琳 - 金の下にある深層の世界 日常から生まれる未知の世界 

 

私たちは、自分自身の視覚経験で確信していながらも、時々見慣れないものやそれまでの経験にない異質なもの
によって確信が揺り動かされたり、あるいは驚愕することがある。
美術史的な分類から言えば、日本人画家寺田琳の作品は間違いなく極東の哲学であり、ドイツにおける抽象表現主義、そして現代社会の総合体験と経験上の中から生まれたインスタレーション、パフォーマンスから成る
ひとつの美学的融合・プロジェクトのようにも受け取れる。

彼の作品を見た時、まず初めに私たちを魅了するのは期待に満ちた高貴な世界へ誘うことを約束するかのように、
豊潤に輝く画面の美しさであり、また寺田の作品自身もそのように誘惑しようとする。
しかしながら、そのような作品を彩る最後の仕上げの根底に潜む幾層もの仕事があることを知って
寺田作品の真実の姿を理解することが出来る。

寺田は高貴漂う金の輝きと厳粛な黒とを効果的に組み合わせている。
その気高く煌めく荘厳さを前にして、観る者は想像を超えて圧倒され、言葉を失う。
とは言え、また同時に暗示的かつ強く訴えかける作品のエネルギーはその美しい上辺のみによって放たれているわけではない。
むしろ、寺田は、自身の作品をじっくりと鍛え精神の幾層もの重なりから作り上げ、それがまた彼の作品に
内的な構成と深みを与えているのである。
と同時に、マチエールの効果はキャンバス上に、ある種の壮大な彫刻的、立体的レリーフの効果と同様の
役割を果たしている。


こうして、私たちが寺田の作品の鑑賞に耽る時、金による恍惚感はすぐさま彼方へと消え去ってしまう。
しかも、眼差しが作品のその内に蔵している神秘を指し示す謎めいた深い構成に向けられ、
今や自由に行き来することはできるが、それが辿る道筋によって、それ以上何ものをも明らかにはならないように
思われる。
それは、つまり常に使用されている金は豪華な表面を放棄されるというよりは、むしろ絵画が抱いている根本-
それは深層の中で隠栖(いんせい)するメッセージの余韻としてそこにあるのだ。
むしろ豪華な表面はヴェールのように覆い隠す端正な装いの役割を果たすことになるのである。


私たちはイブ・クライン、あるいはアーノルフ・ライナーといったヨーロッパの芸術家の手によるこのような
手法を知っているし、またダニエル・リヒターも明らかに絵画の変革期を担っている芸術家の一人である。
しかしながら寺田の場合、作品の真実は超越論的な力を持って更に一歩踏み出している。
というのも、彼の芸術は常にひとつの崇拝対象であるかのような、ある種の宗教性を帯びているからである。

 

対談した際に寺田は、彼が作品制作においてどれだけ様々な素材とイメージを用いているか、そして、
作品が成立してゆく際にはそれらの素材によって自由に躍動するエネルギーがまるで画面上で超自然的に
展開しているかを語った。
このような制作過程は、我々鑑賞者にとっては、部分的には明白に、あるいは全てが謎として、完成した作品に
感じ取れるとも言える。


この日本人画家は禅仏教のシンボルや号を決して歪曲して描いたりはしない。
奇妙ではあるが、私たちはたとえ彼の根底に横たわるそうした暗示的な号を実際には解読できないにしろ、
彼の作品と対峙した時、そうした太古のモチーフを時空を超えて感じ取るのである。
それらのメッセージは母性と愛、死と輪廻について物語っている。


また、可視的なシンボルは、まるで絵自身が成立し、前進し、重なり合い、そして新たに創造される、
そうした層をはっきりと表現している。
このように彼の絵がその隠れた深層の内に自ら抱えているものを言わばさらけ出すのである。


最後に、私たちがこの多層的な絵画構造の実際の豊かさを見、予測し、そして感じ取ることができて初めて、
私たちは再び光輝あふれる表層へと高く浮かび上がり、そうして彼の作品をそのシンボル及び全く新しい 芸術性への享受を読み取るのである。
更に寺田の作品は私たちを再び挑発する。
今も更に身をひそめている日常の中から未知なる永遠の世界を見つけ出せと言わんばかりに。

 

Henry C. Brinker
(日本語訳 井上春樹)


■2013.08■
共同通信社 「世界川物語」 に寺田の作品「ライン」が取り上げられました。
2013年は、国際河川イヤー。世界各国の川にまつわる人の物語が掲載されています。

共同通信社 47NEWS 世界川物語 Back Number 31. 豊饒の川に魅せられて
日経新聞社Sankei Biz「豊饒」に魅せられ描かれた大作  ドイツ・ライン川

福井新聞

河北新報(宮城県)

 

 

 


■2011.2.13-3.27■
"The Rhein" クロスターエバーバッハ 展示会についての新聞記事


266の絵画によるライン川の全貌


青ではなく、黒の線や形で描かれた金色のライン。
ある部分は銀色がかった白であったり、またある部分は均等な緑の点で彩られていたり。
日本人画家、寺田琳の展示会に見られるのは、古典的な川の全貌ではない。
画家はむしろ、いくつもの抽象画からなる52メートル長の総合的芸術作品である「ザ・ライン」を通して、ドイツ人の精神をこそ表そうとしている。

明日からフランクフルトのギャラリー・クノッツマン企画による展示会が修道院、クロスター・エーバーバッハの「僧侶の間」にて始まる。
ラーテナウ在住である画家は、もう何年も前にこの作品の構想をひらめいた、と言う。
しかしこの構想を実現できそうな人材を探すのが難しかった、と言う。
ついに展示の場が見つかってからは早かった。 わずか2ヶ月で、構想でしかなかった芸術作品を画面に起こすため、毎日一枚ずつ描き上げていった。 1日に15時間描き続けたこともあった。「3日前に仕上げました」

「ザ・ライン」はドイツ人の心の中にあるものを表現しているため、ドイツの象徴である、と彼は言う。
1948年生まれの画家は、ミクストメディアの技術を用いて描かれた個々の絵に、金箔、銀箔、アルミニウム、そして油絵の具を施した。
作品は音楽、歴史、豊穣の三つのテーマに分類されている。
展示会オープニングは明日の14時、で開催は3月27日までの予定。

– Frankfurter Allgemeine Zeitung (フランクフルト新聞) 2011年2月12日

パラセルサス通りで暮らし、制作する画家、寺田琳
パリ、フランクフルト、ミュンヘン、ケルンでの展示会を経て、最近ではシャーロッテンブルグ城に展示された不朽の作品「こころ」がヨーロッパ中の感心を集めた。
現在、画家寺田琳はラーテナウの自身のアトリエにて、歴史ある修道院、クロスター・エーバーバッハ(ヘッセン州)にて公開される「ライン」という名のすさまじい作品に最後の仕上げをほどこしているところである。

パラセルサス通りにあるアトリエは少なくとも広さ120㎡はあるにも関わらず、見えている壁は辛うじて1㎡。高さ2メートルはある画面が隣接して並び、向かいにある画家の住居までもが絵で埋め尽くされている。
これら全ては、長さ52メートル、高さ2メートルもある、ある一つの作品の一部にすぎない。
2月13日にクロスター・エーバーバッハ内の古いワイナリーにてこの絵を詳しく研究したいアートファンは、少し走らなければならないだろう。
寺田琳はこの抽象画に2ヶ月を費やした。
それも通常の一日8時間労働ではない。彼はわずかな睡眠と食事休憩以外は夜も昼もなく描いた。
これが私のスタイルだ、と62歳の画家は言う。ひとつの作品にとりかかると、徹底的にそれに捕らわれる。
完全燃焼するまで描き続ける。彼が楽になれるのは絵が完成して、自身の魂が空になってからだ。

幼少の頃すでに彼はそのクリエイティブな集中力で注目を集めた。書道の時間には、他の生徒が去った後も一人教室に残り、何時間でも書き続けた。彼に理解を示した教師が、コンクールに出展した彼の作品は一等に入選した。
神童の誕生。

50歳で初めて祖国日本を離れた。目的地はドイツ。
フランクフルトで個展をして以来、7年間そこに住み、2006年にベルリンに移住。
2009年からはラーテナウに在住し、制作している。
しかし好き好んでベルリンからラーテナウに移住する有名アーティストなどいるだろうか?
部外者としては信じ難いが、寺田にとっては必然的な流れだった。
彼には静けさ、静寂、そして広大なスペースが必要だった。どれも騒々しい都会では得難いものである。
ラーテナウで彼がその家と、それに向かい合うアトリエを目にした時、決断はすでに為されていた。

寺田の家を訪れた者は次第に、ここの住人は本質だけを見据えている、ということに気付かされる。
机、椅子、ベット、そしてわずかな調理器具。広い家にそれ以外の家具はほとんどない。壁に絵もかかっていなければ、テレビもない、本棚もない、何もない。
「そんなものはいらない」禁欲的な生き方が禅僧を彷彿とさせる男は言う。
とすると、この素晴らしい土地で散歩にも行かないのですか?との問いに彼は笑って、「もちろんいきませんよ」と首を横に振る。そして、用事でかけることは多いのだ、と言い訳のように付け加える。・・・

(これ以降判読不可)

– Maerkische Allgemeine (Maerkische 新聞) 2011年2月4日

52メートルのラインエーバーバッハ修道院  ヘンドリック ユング
展示会 クロスター・エーバーバッハに日本人寺田琳の作品
アーティストは昼も夜もなく描いた。


長さ1200キロ以上あるライン河にとって長さ52メートルなど大したことはないが、河を描いた芸術作品となると、大変なことだ。
日本人画家寺田琳の作品は3月27日までクロスター・エーバーバッハの僧侶の間で展示される。

最後のチャンス
「これが最後のチャンスだと思った。だからこそこの2ヶ月間、私の持つ全ての力をつぎ込んだ」
とベルリン在住の寺田琳は通訳を通して説明する。
7年前に長さ約50メートル、高さ2メートルのライン河を描く構想を練って以来、その実現の機会を探していた。
「4年前に初めて修道院を訪れました。その後はわりと自然に事が進みました」 とフランクフルトの画廊のオーナーであるカーステン・インゴ・クノッツマン氏も、寺田のビジョンがついに実現されたことを喜んでいる。

そのために画家は自身の限界に挑んだ。
材料費に20000ユーロを費やしただけでなく、制作にとりかかったのが、すでに12月のことだったからだ。
「1日1メートルずつ仕上げるのは不可能に近かったので、私は1日を半分に分け、日中はアトリエで大きな画面を描き、夜は自宅で小さな画面を制作しました」と彼は自身の作業について説明する。
2ヶ月間、連日12時間から15時間の作業。最後のシリーズは展示会オープニングの5日前に完成した。

完成した作品は歴史、音楽、豊穣というテーマを表す、全く異なる3つの部分から成る。
「ライン河は私にとってドイツの精神の象徴です。作品でそれを表現したかった。」
と寺田は自身の作品がただの河を描いた物ではないことを強調する。
ヨーロッパについて語られるのは、近代化や最新技術についてであることが多い。
しかし寺田にとっては農業こそがヨーロッパの土台である。
ドイツは土壌の恩寵の上に築かれた、と考えた結果が、「僧侶の間」の片方の壁を飾る、豊穣をテーマにした長さ約20メートルの作品である。
加熱した硫黄の粉で加工された銀箔を下地として、無数の黄緑の点が等間隔に描かれている。
空中写真をイメージしながら描きました、と寺田はその情報密度の濃さにおいて他の2つの部分と明らかに異なるこの部分について解説する。

ヒルデガルドの静かな音色
その反対側には寺田がもっとも苦心した部分、音楽、が展示されている。
リヒャルト・ワーグナーとヒルデガルド・フォン・ビンゲンの両方に魅了され迷った結果、最終的には聖人の曲の中で静かに繰り返す音色の方に決めた。
この部分が3つの中で最も環境に溶け込んでいるのはその配色によるものである。
全ての画面上で砂岩色の石柱でつながれた2つの銀色の円を金色の線が横切っている。

画家が実行している禅の思想の中で、円は悟りと絶対的存在の象徴である。
禅の象徴は部屋の入り口にある金と黒で描かれた4組のシリーズにも組み込まれている。
このシリーズはキリスト教がテーマであることによって、歴史に分類されている。
「ドイツはキリスト教の影響を受けているので、私は常に禅とキリスト教を対比させなければならない」
と寺田は言う。
ともあれ寺田はドイツの永遠のテーマであるライン河を日本人として消化し、そこから新しい何かを創り上げた。

– WIESBADEN KURIER (ヴィスバーデン 新聞) 2011年2月14日


繰り返しから生まれる真実性
爆発(噴火、脱出)の芸術


「創造と破壊の狭間で私は生きています」- 精密に計算されたシンメトリーと、自動的な呼吸と絶叫のリズムの
中のインパルスが、寺田琳の芸術の両極がある。
彼の芸術は響きであり、瞑想である。
それは創造の力を授けられた人間が、自分を再発見するために自らを放棄し、自らと直面するという行動を通して
実現される。
用意された108枚のキャンバスの上には、黒色の縦線が引かれ、メタルの光沢を持った断片が音符のように
ちりばめられている。

3時間をかけて、その上に円相を一気に108枚描くパーフォーマンスを彼は計画した。

100回にわたる爆発と破壊 -(機械的)大量生産の現代にあっての真実性、同じことの繰り返しを通して
至ることができる完成- が展開される。
計画されたのは、同じ一つの円を繰り返し描くことであるが、動きが滞るときあり、腕を大きく広げて
一気に仕上がるときあり、手に負えない憤りに駆られたように塗り重ねたり、塗り消したり。
精力を出し切った彼は、最後に残った絵の具をバケツからキャンバスに空けて擦り込んだ。


ヨーロッパの伝統と違い日本の画家にとっては、線自体が既に絵を描くという行為であり、描くという取り組みの
対象である。
線は平面となり、その面上において多くのことが起こるからである。
従って、寺田が線の提供する内容に挑むという姿勢は、表面上のパラドックスに過ぎない。
日本では既に昔から、文字は絵の機能を果たしている。

“Seele”の絵では、柵状の縦に引かれた線と円が、長い金色の線によって繋がれているが、
ここでも寺田は、白を塗り重ねている。

「天と地」では、軸が長い真ん中を通る水平の線で成り立っている。
彼は、この線を一方の端から走りながら書き入れたという。
上方が地で、下方が天であるのは、風景を鏡に映してみる図である。

禅哲学が此処に潜在している。
「ここに自分がいて、そこにもう一つの自分が映っています。
天というのは、彼岸のことでも、神聖なものでもなく、映し出されている自分のことです。
頭の中にあることは一度外に出して、それが何かを見てみるのがよい。
そうした後で、また自分に受け容れるのです」
と師は結んだ。

– INLAENDER (雑誌 インランダー) 2008年